自分の考えを持たないと言うことが、
とても悲観すべきことであると認識した日。


自分の考えを持つこと。

それから自分で決めること。

私はそれを当たり前のことだと思っていた。


だけど、今日。

高校時代からずっと仲の良い友達(女)と会って話しているとき、
彼女は「私は、自分では何も決められない人間だ」と言った。

いつも誰かが決めたことに従っていた、と。

時に口を挟んだり、意見を言うことはあっても、
自分だけでは何も決められない、と。


私はそれが悪いとは思わない。

自分で決めずに、人に決めてもらうと言うことは、
つまり自分では責任を負わないということ。

責任を負うことがキライな人がいたっていい。

ただ。
自分で決めないことを選択したのなら、
人に決めてもらったことについて、文句を言うべきではない。

文句を言うくらいなら、
自分で責任を負って自分で決めなさい、と。

私はそんなふうに思うんだ。


なんだって素直に「そうだね」と人の意見を受け入れる彼女は、
ときに本当に純粋で、とても貴重な存在だ。

だけどやっぱり人の長所は短所でもあるんだ。

表裏一体。


なぜ彼女は自分で決めないのか。

なぜ彼女は自分で考えないのか。

彼女の心の根底にあるのは「面倒くさい」と言う気持ちだった。

私にはそれが本当にショックだった。


そりゃあ、自分であれこれ調べて、考えて、悩んで…なんてやるよりは、
人から「これがいいよ」って教えてもらった方が、楽だし早いよ。

彼女はとても素直な人で。

だからいつも誰かが彼女を助けた。
立ち止まると、悩むと、すぐに答えをくれる人が現れた。

それは彼女の家族であり、友達であり、恋人だった。

助言を喜んで受け入れる彼女に、
誰もが進んで助けの手を差し伸べたんだよね。

ねぇ、それって彼女にとって幸せなことだったのかな?


私は彼女のことが大好きだ。

友達の話に、あんなにも真剣に聞き入って、
そして本当にキレイな涙をぽろぽろと流すような、
そんな純粋で心のキレイな人は他に知らないような気がする。


人にうまく気持ちを伝えることができない、と彼女は言った。

あぁ、あなたは…。
自分の考えを持っていない人が、
人を説得させられるような話ができると思っているの?

自分で自分が何を考えているのかわらない人に、
自分の気持ちを相手にわからせることなんてできるはずがない。

もっと自分を向き合って。
考えることを面倒くさいだなんて思わないで。

だってあなたの人生なのだから。


言葉にはその人の生き方が現れる。

言葉の使い方を注意して聞くと、その人がどんな人なのかわかるよ。


彼女は、そばにいる人に依存する。

「○○してほしい」
「どうして○○じゃないの?」
「どうしたら、いいと思う?」
「どう思う?」

他人に依存している人が使う言葉。


「○○してやった」
「○○してやる」

人よりも優位に立ちたいと思っている人が使う言葉。
こう言うタイプの人は、相手の年齢や肩書きを気にする。
自分と対等だと思う人には、絶対に敬語を使わない。


「○○してあげる」

相手を思いやることのできる人。
だけどそれは、自分の方が立場が上だと知っているから。


「○○してくれた」

相手を尊重できる人。
立場は関係なくて、人と人との関係を大切にして感謝できる人。


彼女は、人に何かをしてもらうことに慣れている。

自分がやらなくても人がやってくれると言うことを、
意識をするわけでもなく、わかっている人。

だから自分が何かを考えるのは「面倒だ」と思うのだろう。


これは本当に恐ろしいことだと思う。

彼女だって今まで何度も苦しい思いをして来ただろう。

だけど、今。
また新たな壁にぶつかった。


どうか、逃げないでもらいたい。

私は見守ることしかできないけど、彼女はきっと気づいてる。

あとは彼女が、行動するか、しないか。


自分の中の問題から逃げ回ることはできないよ。
絶対にね。

逃げれば逃げるほど、自分の首が絞まっていく。

そんな恐ろしいこと、もうやめにしようよ。

早く、自由になって。

あなたが自由になれるように、私は願ってるよ。

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