知らないことを、「知らない」と言えますか?


私は、ずっと言えなかったんだよね。
会話の中で、
よくわからないことがあっても、会話は進んでいく。
相手の話を遮ってまで、言うことでもない。
だからあえて、「知らない」とは言わなかった。

…だけどね、本当の理由はそんなんじゃない。

本当の理由は、自己防衛。

「知らない」と言わないことは、自己防衛だった。


知らないことが、恥ずかしい。
知らないことで、バカにされたくない。
知らないと言うことで、ガッカリされたくない。

つまり、
「知らないと」言うことは、自分の価値を下げる行為だと思ってた。


だけどね。
"ある人"に出会って、私は変わった。
同時に、自分のことを愛せるようになって、私は変わった。

「ごめんね、よくわからないから、教えて。」
と、何の抵抗もなく今は言える。


人は、人との関わりの中で生きてきた。
そこには、相手を思いやる気持ちが育まれている。
だからこそ、私たちは今もこうして、生きている。

“人の役に立ちたい”
と言う思いは、きっと誰しもが持っているの。

だから、「教えてほしい」と言われることに対して、
状況にもよるのだろうけど、そんなに嫌がる人はいない。


自分に対する、自信。
相手に対する、信頼。

このふたつがあれば、「知らない」と言うことは、
本当に何気ない言葉でしかない。

それを私は26年間、言えなかったんだよ(笑)

そう、自分に自信がなくて、相手を信頼することもできなかったから。

自分に自信がないとね、
傷つかないように、必死で自分を守らないと、怖いの。
それは、とても窮屈でした。


知らないことを、知らないと言えるようになった私は、幸せでした。

自分を好きでいられること。
自分に自信を持っていられること。
自分の未来を心待ちにしていること。

窮屈な空間から抜け出した私は、自由で、とても幸せでした。

そう、それを、すべて自分の力で手に入れたと、思ってた。


そして再び、"ある人"に大切なことに気づかされることになった。

私が知らないと言えるようになったのは、
私自身が変わったからだと思い込んでいた私に。
大切なことに気づかせてくれた。

「知らない」と言うことを、
恥ずかしいことでも何でもないことのように受け止めてくれる、
相手の存在があったことに。

知らない私。
至らない私。
そんな私をまるごと認めてくれる、大きな心。
そんな人に出会えたからこそ、私は「知らない」と言えるようになったんだ。


"ある人"とは、toのこと。


toは、相手が考えていることが何となくわかると言う。
そんな不思議な力を持った人。

正確に言うと、toもまた"観察眼"が優れていて、
相手の微妙な表情の変化や、言葉の使い方で、
相手の考えていることがわかるのだろう。

だから、toには伝わってしまうんだよね。
一瞬でもわからないって思うと、それが表情に現れる。
それを、toはキャッチする。
そして、「○○ってわかる?」って私に聞く。
首を横に振る私に、「○○ってねー」と楽しそうに、話す。

そんな人だった。


私が変わったのは、きっとtoと出会えたから。

すべて彼の影響を受けたわけではないけど、
キッカケを与えてくれた人。

私は改めて、toに感謝をしてる。
そしてその感謝の気持ちは、機会がある毎に伝えている。

叶わないなって、思う。

出会えて本当に良かったって、思う。


私を窮屈な場所から、解放してくれた人。

できることなら、彼の元に飛んでいきたい。

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