「お願い。そんなに、悲しまないで」
2006年7月5日幸せになりたいと願う人は多いのに、
幸せになるための努力をしないのはなぜだろう?
悲劇のヒロインみたいな自分のことが好きなのかもしれない。
どうやって努力をすればいいのかがわからないのかもしれない。
ただひとつ言えることは、
幸せになりたいと本気で願うのならば、
「自分は幸せになるのだ」と言う決心が必要です。
幸せになりたいと願っているのに、
幸せになると言う決心をしない人のところには
残念ながら本当の幸せはやってこないと思います。
私はずっとずっと幸せになりたかった。
だから。
どうしたら幸せになれるのかをずっとずっと考えていた。
そんな私に転機が訪れたのは、26歳の誕生日。
道が拓けるってこう言うことを言うんだ!ってハッキリとわかった。
開眼したとか、第二の人生を歩み始めたと言っても過言ではないと思ってる。
26歳の誕生日を堺にして、私の人生はガラっと変わった。
きっと周りの人からしてみれば、
私は、今も昔もさほど変わりのない私だろう。
確かにぱっと見、何も変わってないと思う(笑)
でも、私の考え方は180度変わったんだ。
今だから、言える。
私は25年間、とても不幸だった。
本当に苦しい25年間でした。
私は見栄っ張りで八方美人でカッコつけたがりなので(大げさに言うとね)、
人にどう見られているのかをいつもとても気にしていた。
何不自由なく育ち。
友達も大勢いる。
それなりに恋をしたし、恋人もいた。
勉強も運動も仕事も、人並みにこなすことができた。
お金に困ったこともない。
ひどい裏切りにあったり人間不信になったこともない。
物質的には本当に満たされた日々でした。
それでも私は、不幸だったんだよ。
だけど。
だけど、それを25年間隠し続けてた。
だから、きっと周りの人からしてみれば、
「あの子は幸せだね」って思われてただろう。
だって、そう思われるように振舞っていたのだから。
ただ、心は本当に孤独でした。
ときどき、息が苦しいほど泣いて、泣いて。
泣くことでしか、私は私でいられなかった。
温かいのは、自分の瞳から溢れる涙だけだった。
ねぇ、私は本当に孤独だったよ。
もちろん
心から笑っていた時間もあったし。
ずーっと苦しんでいたわけじゃない。
幸せを感じられる時間や感謝できる時間もたくさんあったよ。
ドキドキしたり、ワクワクもした。
苦しみの谷が深かっただけ、
楽しいときは本当に楽しかったんだ。
私は恵まれてると思っていたし、幸せな方だって思ってた。
ただね、あの暗い孤独の時間を私は知っている。
あの時の自分を抱きしめたいよ。
「お願い。そんなに、悲しまないで」
そんな私が変わったのが、26歳の誕生日でした。
その日から10ヶ月弱の日々が過ぎました。
私は今、本当に幸せです。
人は、変われる。
どれだけ孤独でも、
どれだけ苦しみを抱えていても。
変われる。
幸せになれる。
過去の私は、
幸せなときもあり、不幸なときもあった。
その幅が大きすぎて、とても苦しみました(笑)
情緒不安定だと、わかってました。
そして今は、幸せな毎日です。
気持ちがマイナス方向に振れないんです。
だから本当に穏やかに幸せを感じています。
高い満足感を持って毎日を過ごすことができます。
こんなふうに人が変われるって言うことを、信じられますか?
信じられる人。
今、信じられなくても信じたいと思える人。
心が素直な人は、変われる人なんだと思います。
心が素直な人は、絶対に幸せになれると思います。
幸せでいられること。
そのことに私はとても感謝をしています。
毎日、何度も「ありがとう」と心の中で思ったり書いたりしています。
この幸せな気持ちを、
周りの人にも持ってもらえたらと思い始めました。
私と関わる人が間接的にでも幸せになってもらえたら、
私はどんなに幸せだろうかと思っています。
これからはそんな思いも込めながら、日記を書きたいと思っています。
今まで私は意識が内側へ内側へと向かっていました。
それはすべて自分に対する愛情で、
自分勝手な自己満足なのだと思います。
そうは言っても、自分に対する愛情が不足していたのだから
仕方のないことなのかも知れませんが。
それが少しづつ外側へ向かい始めているのを感じます。
インサイドアウト−内側から外側へ。
まだまだ未熟な人間なので、
自分の恋愛のことなど叶えたいことがたくさんあります!
それでも少しづつでも、
周りの人の幸せに貢献できたら本当に嬉しいなと思います。
今までも自分の考えをここで書いていました。
「幸せ」になるために具体的に必要なこと、
それをこれから書き加えていきたいと思っています。
幸せになるための努力をしないのはなぜだろう?
悲劇のヒロインみたいな自分のことが好きなのかもしれない。
どうやって努力をすればいいのかがわからないのかもしれない。
ただひとつ言えることは、
幸せになりたいと本気で願うのならば、
「自分は幸せになるのだ」と言う決心が必要です。
幸せになりたいと願っているのに、
幸せになると言う決心をしない人のところには
残念ながら本当の幸せはやってこないと思います。
私はずっとずっと幸せになりたかった。
だから。
どうしたら幸せになれるのかをずっとずっと考えていた。
そんな私に転機が訪れたのは、26歳の誕生日。
道が拓けるってこう言うことを言うんだ!ってハッキリとわかった。
開眼したとか、第二の人生を歩み始めたと言っても過言ではないと思ってる。
26歳の誕生日を堺にして、私の人生はガラっと変わった。
きっと周りの人からしてみれば、
私は、今も昔もさほど変わりのない私だろう。
確かにぱっと見、何も変わってないと思う(笑)
でも、私の考え方は180度変わったんだ。
今だから、言える。
私は25年間、とても不幸だった。
本当に苦しい25年間でした。
私は見栄っ張りで八方美人でカッコつけたがりなので(大げさに言うとね)、
人にどう見られているのかをいつもとても気にしていた。
何不自由なく育ち。
友達も大勢いる。
それなりに恋をしたし、恋人もいた。
勉強も運動も仕事も、人並みにこなすことができた。
お金に困ったこともない。
ひどい裏切りにあったり人間不信になったこともない。
物質的には本当に満たされた日々でした。
それでも私は、不幸だったんだよ。
だけど。
だけど、それを25年間隠し続けてた。
だから、きっと周りの人からしてみれば、
「あの子は幸せだね」って思われてただろう。
だって、そう思われるように振舞っていたのだから。
ただ、心は本当に孤独でした。
ときどき、息が苦しいほど泣いて、泣いて。
泣くことでしか、私は私でいられなかった。
温かいのは、自分の瞳から溢れる涙だけだった。
ねぇ、私は本当に孤独だったよ。
もちろん
心から笑っていた時間もあったし。
ずーっと苦しんでいたわけじゃない。
幸せを感じられる時間や感謝できる時間もたくさんあったよ。
ドキドキしたり、ワクワクもした。
苦しみの谷が深かっただけ、
楽しいときは本当に楽しかったんだ。
私は恵まれてると思っていたし、幸せな方だって思ってた。
ただね、あの暗い孤独の時間を私は知っている。
あの時の自分を抱きしめたいよ。
「お願い。そんなに、悲しまないで」
そんな私が変わったのが、26歳の誕生日でした。
その日から10ヶ月弱の日々が過ぎました。
私は今、本当に幸せです。
人は、変われる。
どれだけ孤独でも、
どれだけ苦しみを抱えていても。
変われる。
幸せになれる。
過去の私は、
幸せなときもあり、不幸なときもあった。
その幅が大きすぎて、とても苦しみました(笑)
情緒不安定だと、わかってました。
そして今は、幸せな毎日です。
気持ちがマイナス方向に振れないんです。
だから本当に穏やかに幸せを感じています。
高い満足感を持って毎日を過ごすことができます。
こんなふうに人が変われるって言うことを、信じられますか?
信じられる人。
今、信じられなくても信じたいと思える人。
心が素直な人は、変われる人なんだと思います。
心が素直な人は、絶対に幸せになれると思います。
幸せでいられること。
そのことに私はとても感謝をしています。
毎日、何度も「ありがとう」と心の中で思ったり書いたりしています。
この幸せな気持ちを、
周りの人にも持ってもらえたらと思い始めました。
私と関わる人が間接的にでも幸せになってもらえたら、
私はどんなに幸せだろうかと思っています。
これからはそんな思いも込めながら、日記を書きたいと思っています。
今まで私は意識が内側へ内側へと向かっていました。
それはすべて自分に対する愛情で、
自分勝手な自己満足なのだと思います。
そうは言っても、自分に対する愛情が不足していたのだから
仕方のないことなのかも知れませんが。
それが少しづつ外側へ向かい始めているのを感じます。
インサイドアウト−内側から外側へ。
まだまだ未熟な人間なので、
自分の恋愛のことなど叶えたいことがたくさんあります!
それでも少しづつでも、
周りの人の幸せに貢献できたら本当に嬉しいなと思います。
今までも自分の考えをここで書いていました。
「幸せ」になるために具体的に必要なこと、
それをこれから書き加えていきたいと思っています。
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