自分に自信が持てるようになると、
その人の本当の魅力が開花するんじゃないかと思う。

自分に対する自信と言うのは、
他人との比較によって得られるものじゃない。

例えて言うなら、
このグループの中で自分が一番かわいいとか。
あの子よりも自分の方がスタイルがいいとか。
そう言うことじゃない。

学期末に頂いていた「通知表」で例えてみると。
(今の通知表がどうなのかは知らないけど)
私が小学生の頃は
低学年が◎・○・△での評価、
高学年になると5・4・3・2・1での評価だった。

これが意味するのは、絶対評価と相対評価で。
絶対評価の場合、極端な話全員が◎の可能性だってある。
周りと比較してどうこうではなく、その子がどうかっていう評価。
一方相対評価の場合は、他の人と比べてどうかっていう評価だから、
5がつく人が全体の何割で…と言うことになる。

前置きが長くなってしまいましたが、
最初に書いた自分に対する自信と言うのは、
相対評価じゃなくて、絶対評価での自信と言う意味。

相対評価(周りと比較しての評価)での自信は、
自信と言うよりもむしろ、優越感と言った方がいいのかもね。


さて。

自分に対して自信があると、
人のいいところを素直に認められるようになります。
人の幸せを受け入れられるようになります。

それって単純だけど、実はなかなか難しいことで。

他人の不幸は蜜の味とか言うけど、
それは相対評価での見方しかできてないってこと。

人の人生は相対評価でなりたっているわけじゃない。

そう、
決まった量の幸せをみんなで分配してるわけじゃない。
決まった量の喜びをみんなで奪い合ってるわけじゃない。

幸せとか喜びって言うのは、無限にある。

だから人と分け合ったり奪い合ったりするものじゃない。


それがわかっている人は、
自分以外の人の幸福を一緒に喜ぶことができる。

単純。

だけどそのことに気がついていて、
本当にそうできる人が、いったい自分の周りに何人いる?


人の幸せが自分にとっても幸せだと思えるってことは、
本当に本当にすごいことだと思うんだけど。

だって、自分の幸せじゃなくても、幸せを感じられるんだよ?

本当に幸せな人だって思う。
本当に魅力的な人だって思う。

自分自身を、
そして周りの人を幸せにできる人。

超好循環。

だって自分の幸せを心から喜んでくれる人がいたら、
そりゃあ、嬉しいもの。

人が幸せ
 ↓
自分も幸せ
 ↓
人は幸せを喜んでもらえて、さらに幸せを感じる
 ↓
自分が幸せを感じることで、
人をもっと幸せにできるってとっても幸せ
 ↓
幸せ、幸せ、幸せ…
幸せの連鎖は続いていく・・・


この超好循環。

どこからスタートした?


そう、「自分に自信を持つ」がスタート。

自分に絶対的な(絶対評価での)自信を持つところが、スタート。


どうしたら自分に絶対的な自信を持てるようになるのか、
と言うことについては、
また別の機会に考えてみたいと思います。
(「どうしたら」って言うところが一番重要ですよね…)

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