「幸せを感じる心」を持っているから。
2004年9月25日今日は、大学生の頃につき合っていた人と
1年半ぶりに再会した。
かつて私たちは別れを繰り返した。
一緒にいてもうまくいかないから別れて。
それでもひとりは寂しいからと言ってよりを戻して。
そんなことを何度も繰り返すうちに、
お互いに友達として距離をとりながらつき合っていたほうが
よほどうまくいくことに気がついたのだ。
そしてそのタイミングで私は別の人に恋をした。
しばらくはぎくしゃくもしたけど、
そのうち彼にも別の彼女ができ、
私も別の人とつき合い始めた。
同じ大学じゃなかったら、
別れた時点で連絡をとらなくなっていたかも知れないけど。
今ではすっかり友達で、
カフェでお茶をしたあと家まで送ってもらったけど、
なんだかとても不思議な気分だった。
昔何度も送ってもらったな〜と思いながら。
私はなぜだか、
過去つき合っていた人とは会う会わないは別にして
今でも連絡を取れる状態にある。
それを好意的に見る人もいれば、
否定的な見方をする人もいるけど。
「元カレ」と言うのは確かに事実ではあるけど、
それよりも、ひとりの大切な「友達」って思えるんだよね。
それはお互いに新しい恋をしているから。
もう、過去のことだから。
自分が幸せな状態であれば、素直に応援できる。
たとえ自分が幸せな状態でなくとも、幸せを願える。
大切な人には代わりないのだから。
胸がチクチクと痛むこともある。
期待することは絶対にないとは言い切れない。
それでも、心の底では幸せをいつも願ってる。
そう、別れた理由は何であれ、
お互いに嫌いになったわけではないってわかってるから。
自分の幸せを願うことはもちろんだけど、
大切と思える人たちの幸せを心から願える時って
実はとても心が温かくて、幸せな時だと思う。
幸せは与えられるものではないし、
探し求めるものでもないと私は思う。
安らかな心の状態こそが、幸せな状態なのだと思う。
わくわくするのも。
ドキドキするのも。
胸がきゅんとするのも。
確かに幸せだけど。
それはひと時のこと。
幸せな「瞬間」。
無害な麻薬みたいなもの。
幸せになるチャンスは誰にでもあると言う。
そう言えるのは、
誰もが「幸せを感じる心」を持っているからなのだと思う。
幸せか幸せじゃないかを決めるのは、
他の誰でもない自分自身なのだから。
1年半ぶりに再会した。
かつて私たちは別れを繰り返した。
一緒にいてもうまくいかないから別れて。
それでもひとりは寂しいからと言ってよりを戻して。
そんなことを何度も繰り返すうちに、
お互いに友達として距離をとりながらつき合っていたほうが
よほどうまくいくことに気がついたのだ。
そしてそのタイミングで私は別の人に恋をした。
しばらくはぎくしゃくもしたけど、
そのうち彼にも別の彼女ができ、
私も別の人とつき合い始めた。
同じ大学じゃなかったら、
別れた時点で連絡をとらなくなっていたかも知れないけど。
今ではすっかり友達で、
カフェでお茶をしたあと家まで送ってもらったけど、
なんだかとても不思議な気分だった。
昔何度も送ってもらったな〜と思いながら。
私はなぜだか、
過去つき合っていた人とは会う会わないは別にして
今でも連絡を取れる状態にある。
それを好意的に見る人もいれば、
否定的な見方をする人もいるけど。
「元カレ」と言うのは確かに事実ではあるけど、
それよりも、ひとりの大切な「友達」って思えるんだよね。
それはお互いに新しい恋をしているから。
もう、過去のことだから。
自分が幸せな状態であれば、素直に応援できる。
たとえ自分が幸せな状態でなくとも、幸せを願える。
大切な人には代わりないのだから。
胸がチクチクと痛むこともある。
期待することは絶対にないとは言い切れない。
それでも、心の底では幸せをいつも願ってる。
そう、別れた理由は何であれ、
お互いに嫌いになったわけではないってわかってるから。
自分の幸せを願うことはもちろんだけど、
大切と思える人たちの幸せを心から願える時って
実はとても心が温かくて、幸せな時だと思う。
幸せは与えられるものではないし、
探し求めるものでもないと私は思う。
安らかな心の状態こそが、幸せな状態なのだと思う。
わくわくするのも。
ドキドキするのも。
胸がきゅんとするのも。
確かに幸せだけど。
それはひと時のこと。
幸せな「瞬間」。
無害な麻薬みたいなもの。
幸せになるチャンスは誰にでもあると言う。
そう言えるのは、
誰もが「幸せを感じる心」を持っているからなのだと思う。
幸せか幸せじゃないかを決めるのは、
他の誰でもない自分自身なのだから。
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